豪華ではないが知的である。HONDA PRELUDEプレリュード(Prelude)は、本田技研工業がかつて生産、販売していたクーペ型の乗用車。1978年に、ベルノ店の発足と同時に同店向け専売車種として登場し、NSXが登場するまでは同店におけるフラッグシップ(最上位車種)の位置付けであった。日本車初の電動サンルーフ、ABS、4WS、ATTS、Sマチック等、当時としては最新の技術や装備を積極的に装備していた。初代で日本のスペシャルティカー...
★世界の自動車メーカー名は言うまでもなく創業者の名前に由来するものが多い(ポルシェ、シトロエン、フォード、クライスラーなど)が、日本の自動車メーカーでもトヨタ…
どうも服部です。昭和の映像を紐解いていくシリーズ、前回に引き続き、神奈川県川崎市のYouTubeチャンネル「映像アーカイブ川崎市」から映像をピックアップしていきます。現在の日本の道路事情からすると考えにく...
★日産自動車は横目4灯にマイナーチェンジした初代セドリック・デラックスのホイールベースを205㎜、全長を265㎜延長して6気筒2800ccのK型エンジンを搭載…
バラエティー豊かな旧車がずらり! 所沢市のクラシックカーイベントを紹介する。
1990年代、まだオリジナルの軽自動車を作っていた頃のスバルは、660cc時代第2世代軽自動車への更新をライバルに先駆けて決行。従来のレックスから単純にモデルチェンジせず、あえて「ヴィヴィオ」というブランニューネームを与え、デビューさせました。それは一見すると平凡な実用セダンタイプ軽自動車に見えますが、中身はかな~り濃い1台だったのです。 スバル ヴィヴィオRX-RA(1993サファリラリーにて、まだ元気に怪走中のマクレー車) / 出典: レックス改め「ヴィヴィオ」登場! スバル ヴィヴィオ / 出典: 日本に軽自動車を国民車として定着させた歴史的名車、スバル360で大ヒットを記録したものの、その後のスバル軽乗用車は今ひとつパッとしない状況が続きました。 後継のR-2、その次のレックスとも、根強いファンはいたもののライバルと比較するとメジャーになりきれません。 2代目レックスで駆動方式はRR(リアエンジン・後輪駆動)からFF(フロントエンジン・前輪駆動)へ、ターボエンジンや4WDなども設定。 いわば「時流に乗った普通の軽自動車になった」とは言うものの、エンジンは360以来のEK型2気筒エンジンを改良しながら使い続けるなど、商品性はまだ十分とは言えませんでした。 レックスが3代目となってターボからスーパーチャージャーへ、さらにようやく2気筒エンジンに決別して、550cc時代以降の軽自動車では初の直列4気筒エンジンへ更新。 しかしこの4気筒エンジンEN05が660cc化されてEN07になると、「2気筒エンジンのスペースへ4気筒エンジンを搭載する」という寸法上の制約から、ボアアップではなくロングストローク化による排気量アップが求められ、結果的に低回転からトルクのあるエンジンへと進化したのです。 スバル ヴィヴィオRX
1976年に初代モデルがデビューした本田技研工業の小型乗用車「アコード」は、1981年9月に5年ぶりのフルモデルチェジを受け2代目モデルに移行しました。ボディサイズ拡大によるユーティリティの向上や走行性能・燃費性能の改善などと同時に、世界初…
1958年からその基本設計を変えずに生産されているロシア「UAZ」製のバンモデル「2206」と、45年の歴史を持つジープタイプの「ハンター」が東京の岩本モータースから再販されることになりました。
昨日は大変嬉しいニュースが有りました。旭川電気軌道のMR430が解体寸前の廃車体から壮絶なレストア(同社サイトより・画像共)経て復活したことが公式に伝えられま…
発売当時は間違いなくスーパーカーだった程度そこそこでも2000〜3000万円。海外では1億円も突破して話題になっているのが、トヨタ2000GTだ。しかし、1967年に市販された50年も前のクルマである。実車を見るとかなり小さくて、5ナンバー…
日産のデザイン部門をまとめていた中村史郎さんをご存じの方は多いだろう。だがその前は、乗用車を作っていたいすゞに在籍し、数々のデザインを手がけていた。今回はそんな中村史郎作品のなかでも、芸術的なクルマを4台紹介したい。どれもこれもが歴史に残る名作だ。
昭和は遠くなりにけり・・・。以前に連載した「昭和の名車」では、紹介しきれなかったクルマはまだ数多くある。そこで、1960年代以降の隠れた名車を順次紹介していこう。今回は「三菱 シャリオ」だ。
“ニイナナ”の愛称で親しまれた初代「レビン/トレノ」は1972年に販売が開始されました。2000年に生産が終了するまで日本の小型スポーツカー市場を牽引し続けた同モデルの歴史を辿ります。
JR120XEのブログ記事「あなたの気品を走らせる いすゞ ベレル」です。
三菱自動車を代表するミドルセダン「ギャラン」は、同社の成長において、重要なモデルだった。記憶に残るかつての日本車を追憶するシリーズの第3回。
バブル時代後期に開発された軽自動車の2シータースポーツ、マツダ・オートザムAZ-1、ホンダ・ビート、スズキ・カプチーノの3台は、それぞれ頭文字をとってABCトリオと呼ばれた。なかでもAZ-1はガルウイングをもつミッドシップで一番の個性派。ハンドリングのシャープさでも群を抜いていた。
今は乗用車の生産から撤退してしまったいすゞだが、かつて生産していた乗用車はどれも名車揃いと言われる。そのなかでも、特異なルックスでひときわ異彩を放つのがビークロスだ。今なお多くのファンを抱える個性派SUVはどんなクルマだったのか? お届けしよう。
日産のデザイン部門をまとめていた中村史郎さんをご存じの方は多いだろう。だがその前は、乗用車を作っていたいすゞに在籍し、数々のデザインを手がけていた。今回はそんな中村史郎作品のなかでも、芸術的なクルマを4台紹介したい。どれもこれもが歴史に残る名作だ。
中国は自動運転車の大量導入前夜にあり、あと10年で100万台の自動タクシーを走らせる計画です。なぜここまで進んだのか?その要因と今後の展望を解説します。
三菱自動車を代表するミドルセダン「ギャラン」は、同社の成長において、重要なモデルだった。記憶に残るかつての日本車を追憶するシリーズの第3回。
可能な限りのリサイクルが行なわれている 「古いクルマを大事にしよう、それこそが本当のエコだ」という主張を聞くことがあります。生産時や廃棄時の環境負荷を考えれば、古いものを大事に使うのは有効といえるでしょう。ところで日本で […]
【選ばれた5台のエピソード】かつて一斉を風靡した国産クーペを小川フミオが振り返る!
昨今の流行りはなぜか「郷愁」。ゴハンも歌もアイドルもノスタルジーを感じさせるものがメディアに出てくる。クルマと社会の交差点にある「クルマ文化」にストップかゴーの判定を下す好評連載。今回のテーマは古いクルマの人気について。
工業製品の歴史を振り返ると、世界を揺るがすほどの画期的なアイテムが誕生すると何かと個性を加えてそれらを真似た製品を出すという流れがある。それはクルマでも同じことが言える。名前や機能を少し変えて人気商品を後追いするのは常套手段なのだ。そこで今回は、輸入車に魅せられた国産メーカーが作った「和製○○」なクルマを振り返る。
1960年代の基本設計を維持したまま、1980年代半ばまで生産が続いた奇跡の日本車、初代デボネア。22年間も生産が続いたことから、モデル末期には明らかに時代にそぐわないクラシカルなクルマとなってしまったが、それがむしろ一部のクルマ好きを刺激
画像ファイル: WEB CARTOP
数年前まで、中国のモーターショーでは、民族系中国メーカーが出展するパクリカーに大いに注目が集まったものだ。 我々は「やっぱ中国はコピー天国だよな〜」と、上から目線で眺めていたが、振り返れば我が国も、かつてはコピー天国だった! 日本人は、中国…
昨今の流行りはなぜか「郷愁」。ゴハンも歌もアイドルもノスタルジーを感じさせるものがメディアに出てくる。クルマと社会の交差点にある「クルマ文化」にストップかゴーの判定を下す好評連載。今回のテーマは古いクルマの人気について。
1980年代に登場した日本車のなかでも、ユニークなコンセプトを持つ5台を小川フミオがセレクト。当時を振り返る。
今は乗用車の生産から撤退してしまったいすゞだが、かつて生産していた乗用車はどれも名車揃いと言われる。そのなかでも、特異なルックスでひときわ異彩を放つのがビークロスだ。今なお多くのファンを抱える個性派SUVはどんなクルマだったのか? お届けしよう。
過去に発売されたクルマのなかには、もう少し後に出ていたらと思うほど時代を先取りして、登場が早すぎだったと思われたクルマがあります。そんなクルマを5車種ピックアップして紹介します。
キュートな3ドアハッチバックのモデルは、大胆にリアがカットされた、まさに「ワンダー」(驚異の)シビックだった。 カローラスプリンター、フェアレディZ、ギャランΣエテルナΣ、シャレード、プレリュード、コロナ、フローリア
Gris Borealのブログ記事「野生の響き スバル・レオーネ♪」です。
双日株式会社は、BYDの日本法人であるBYD Auto Japan株式会社と、乗用車正規ディーラー事業に関する契約を締結したと発表した。ディーラー事業の運営は、双日オートグループジャパン株式会社が神奈川県内、双日オートグループ東海株式会社が
トヨタは2020年12月25日に、新型EV「シーポッド」(C+pod)の限定販売を開始しました。軽自動車よりも小さい超小型モビリティに属するクルマですが、奇しくも同日に国は2050年カーボンニュートラルを目指すグリーン成長戦略を発表しました。軽自動車も電動化目標の対象とされるなか、日本独自規格の軽自動車は電動化の影響でどのように変化していくのでしょうか。
トヨタ・パブリカは、2代目でその歴史に幕を下ろしている。歴代パブリカとして、4つほど違う外観を思い浮かべることができるため、意外な感じがするが事実なのだ。 初代は1961年に登場したP10系。モノコックボディに空冷水平対向2気筒、700cc
1971 TOYOTA CELICA 1600GTトヨタ セリカ 1600GT「我が国初登場の本格的なスペシャルティカー」としてセリカは1970年12月1日から発売開始された。前年69年の東京モーターショーで展示された「EX1」をベースにワ