前回オリンピック開催年、1964年を振り返る連載23回目は、driver1964年9月号に掲載した「スバル360」に関して。※該当記事はページ最下部スバル360に「スバルマチック」が搭載された新型コロナに翻弄されながら2020年も9月。本来...
富士重工業は1969年8月、デビュー以来11年が経過し商品力が低下していた「スバル 360」に代わる新型軽自動車「スバル R-2」を発売しました。基本メカニズムは360譲りながら、居住性の向上や十分なトランクスペースの確保など、実用性のさら…
今なおマニアの間で高い人気を誇る軽自動車、スバル360。てんとう虫と愛称で呼ばれる同車は、まだマイカーが高嶺の花であった時代に、庶民にその夢を実現させるような手が届く価格で発売されたクルマだ。だが単に安いだけのクルマではない。驚くべき技術 が注ぎ込まれていたのだ。
前回オリンピック開催年、1964年を振り返る連載23回目は、driver1964年9月号に掲載した「スバル360」に関して。※該当記事はページ最下部スバル360に「スバルマチック」が搭載された新型コロナに翻弄されながら2020年も9月。本来...
戦後日本のモータリゼーションと国産車の急成長において、大きな役割を果たした車が何台かありました。1955年に登場した初代トヨペット クラウンやダットサン 110。そして1958年に登場したスバル 360もその1台で、『実用的な性能と当時の日本国民でも手の届く価格』を実現し、国民に自家用車を広めたという意味で、まさしく革命的存在だったのです。 スバル 360 / Photo by Alden Jewell 戦後の日本国民が購入できて、全国どこでも走れる『国民車』を作ろう! 東北パルプ石巻工場(現・日本製紙石巻工場)正門前にたたずむスバル 360 / Photo by Yasuhiko Ito 1945年8月の第2次世界大戦敗戦後、それまで軍用機をメインに日本最大の航空機メーカーとなっていた中島飛行機は、民需転換して富士産業と改名するも、進駐してきた連合軍による財閥解体で、工場や研究所単位での分割独立を迫られます。 それにより各社一旦はバラバラになりながらも、スクーター『ラビット』の生産やバスボディの架装、エンジン開発などで自動車産業への参入を図る動きを行っていました。 一方、1950年代半ばまでの日本国内自動車産業は戦後ほぼゼロからのスタートとなっており、三菱や日産、いすゞ、日野などが海外メーカー車の部品を輸入するノックダウン生産から段階的な国産化とオリジナル車の開発を開始。 あるいはトヨタやスズキなどが国産車開発を始めます。 特に国産車開発においては1955年、初代トヨペット(トヨタ) クラウンと、ダットサン(日産) 110という形で、ついに戦後初の本格的国産乗用車が産声を上げていました。 とはいえそれらはまだまだ高価であり、日本国民にある程度収入があったとて、そう簡単に買える代物ではなく、主にタクシーなど法人利用がメインとなります。 しかし、国内自動車産業の振興のためには、頑張れば誰もが買える程度の価格で日本全国どこでも使える『国民車』が必要であると、当時の通産省(現在の経産省)は考えました。 それが1955年5月に明らかになった『国民車育成要綱』で、条件を満たす自動車は国から製造と販売の支援を受けられるというもの。
スバル360を今風に表現したハイブリッドカーのスバルエルテンです。1997年の東京モーターショーに展示されました。スバル360はこちらをご覧ください。→Subaru3601958-SubaruEltenChibaThe32ndTokyoMotorShow1997年撮影SubaruEltenChibaThe32ndTokyoMotorShow1997年撮影4WD/L4,0.66L+Electricmotor/Wheelbase2,260mm,Length3,410mm,Width1,500mm,Height1,500mmSubaruElten1997スバル360へのオマージュ、スバルエルテン
スバル360スバル360(Subaru 360 )販売期間1958年 – 1970年乗車定員4人ボディタイプ2ドア セダン、オープントップ3ドア ライトバンエ…
昭和は遠くなりにけり…だが、昭和生まれの国産スポーティカーは、日本だけでなく世界的にもブームとなっている。そんな昭和の名車たちを時系列で紹介していこう。1968年発売のスバル 360 ヤングSS。
富士重工業は1969年8月、デビュー以来11年が経過し商品力が低下していた「スバル 360」に代わる新型軽自動車「スバル R-2」を発売しました。基本メカニズムは360譲りながら、居住性の向上や十分なトランクスペースの確保など、実用性のさら…
道の駅を舞台として旧車やスーパーカーを対象としたイベントが開催されることが多くなった。「道の駅おおた」で開催されたサンブレフェスタには、国産旧車のなかで不動の人気を長年維持しているスバル360が登場した。なんとこの個体、1961年に生産された通称「デメキン」と呼ばれる希少な初期型なのだ!
Subaru 360 Custom, 1967r.
恒例の日本車海外カスタムですが、今回は国内でのスバル360カスタムカーも登場します。このようなカスタムで、日本ではビンテージだレストアだとピカピカにするところですが、海外のマニアは自由な発想が面白いですね。
富士重工業は1969年8月、デビュー以来11年が経過し商品力が低下していた「スバル 360」に代わる新型軽自動車「スバル R-2」を発売しました。基本メカニズムは360譲りながら、居住性の向上や十分なトランクスペースの確保など、実用性のさら…
“【I loveスバル】 昭和30〜40年代の日通のスバル360運搬用のトランスポーター。小型で軽量の車体の特性を生かして斜めに積む方式が大胆で素敵! (白黒写真を私がデジタルペイントした写真) ミニカー化熱望で定期的にツイート。 トミーテックさま〜! #トミカリミテッドヴィンテージ #トミーテック”
昭和33(1958)年3月3日。3のゾロ目の日に、スバル360は発表された。通商産業省が提唱した「国民車構想」を具現化したクルマとして、最初の国民車と評価されたこの小さな軽四輪自動車は、後の日本の、いや世界のモータリゼーションに多大なる影響
スバルもホンダもマツダも原点は軽自動車から自動車づくりをスタートさせている。当時のデザインは小さくて丸いフォルムが多いが、見た目が気に入ったからといって安易に手を出すと痛い目を見ることになる。今回はこうした原点的名車を中古車で手に入れる際に注意すべき点を紹介しよう。
スバルの軽乗用車「スバル・360」は、4人の大人が快適に乗車出来る居住性や、優れた走行性能や耐久性、乗り心地を兼ね備えた軽量な実用車として開発され、1958年5月に市販モデルとして結実し販売が開始されました。安価な軽自動車ながら、国産車とし…
今回は、当時の画期的なアイデアとともにスバル360が、機械遺産に認定された背景を探っていきます。 2016年に機械遺産として認定されたスバル 360。機械遺産というのは、歴史に残る機械技術関連遺産を大切に保存し、文化的遺産として次世代に伝えることを目的に日本機械学会が認定したもので、主に産業革命以降の工業化がなされた時代の機械が対象になっています。スバル360がなぜ、機械遺産に認定されたのでしょうか?
今なおマニアの間で高い人気を誇る軽自動車、スバル360。てんとう虫と愛称で呼ばれる同車は、まだマイカーが高嶺の花であった時代に、庶民にその夢を実現させるような手が届く価格で発売されたクルマだ。だが単に安いだけのクルマではない。驚くべき技術 が注ぎ込まれていたのだ。
以前に連載した「昭和の名車」では、紹介しきれなかったクルマはまだ数多くある。そこで、1960年代以降の隠れた名車を順次紹介していこう。今回は「スバル 360(1960年モデル)」だ。
| スバル360は軽自動車初の4人乗り、日本初の大衆車だった | スバル360のパトカーがオークションに登場予定。このオークションはエルクハートにてRMサザビーズが(2020年5月1日に)開催するもの
@retoro_mode 秀逸なスバル360の広告達。
昭和日本の希望を乗せて走った国民車"てんとう虫"を組み立てよう!『スバル360をつくる』2022年12月14日(水)創刊 アシェット・コレクションズ・ジャパン株式会社のプレスリリース
富士重工業は1969年8月、デビュー以来11年が経過し商品力が低下していた「スバル 360」に代わる新型軽自動車「スバル R-2」を発売しました。基本メカニズムは360譲りながら、居住性の向上や十分なトランクスペースの確保など、実用性のさら…
今なおマニアの間で高い人気を誇る軽自動車、スバル360。てんとう虫と愛称で呼ばれる同車は、まだマイカーが高嶺の花であった時代に、庶民にその夢を実現させるような手が届く価格で発売されたクルマだ。だが単に安いだけのクルマではない。驚くべき技術 が注ぎ込まれていたのだ。