国土地理院の地図を見ると、縄文時代の東京湾である「奥東京湾」の姿が分かるな。
東京にとって荒川が重要なわけ さて問題です。東京都荒川区は荒川区と足立区の境界を流れる川に因んで名づけられました。その川の名前はなんでしょう?
台地と入り組んだ谷によって複雑な様相を呈する東京。そこで展開された歴史もまた、地形に大きく左右されてきました。それは一見まっ平らに見える下町にあっても同様だったりします。20メートル、30メートルといった台地に比べると誤差のようなものですが、東京の下町には「微高地」と呼ばれる、せいぜい2,3メートル程度の高低差を持つ地形が数多く存在します(下図、黄緑色の地域)。東京が現在の東京へと発展するに当たって、この下町・東京低地が歴史的に果たした役割を軽視することは出来ません。東京低地にあって、こうした微高地は水はけのよさ等から早くから人が住み着き、神社や寺院がおかれるなど各地域で重要な役割を果たしてきました。下町を散歩するとき、その存在を意識していると思わぬ風景に出会うことが増えるかもしれません。東京低地の微高地
東京にとって荒川が重要なわけ さて問題です。東京都荒川区は荒川区と足立区の境界を流れる川に因んで名づけられました。その川の名前はなんでしょう?
東京にとって荒川が重要なわけ さて問題です。東京都荒川区は荒川区と足立区の境界を流れる川に因んで名づけられました。その川の名前はなんでしょう?
“国土地理院の地図を見ると、縄文時代の東京湾である「奥東京湾」の姿が分かるな。”
名所江戸百景シリーズも、桜の時期も過ぎ、紅葉の時期まで間が開く。そこで、新たなテーマを検討してみた。道、川(跡)、町・村と、一通り回ったのでネタも尽きてきた。色々と検討した結果、原点に返り、我が街・江戸川区の歴史を遡ってみたいと思う。 新シリーズ、『江戸川区(葛飾)の歴史』のスタートである。 尚、御存知の方も多いかと思うが、江戸川区は、その昔、『下総国葛飾郡』であった。だから、(葛飾)と、している。 さて、縄文時代、葛飾は海だった。縄文海進と呼ばれる海水面の上昇、概ね3〜5m、高いところでは10数mも、現在の海水面より高かったという。それは、貝塚が教えてくれる。 [Wiki、『縄文時代の遺跡一覧』より、貝塚のみピックアップした地図] より大きな地図で 縄文貝塚地図 を表示 なんと!、最も奥は、渡良瀬遊水地の辺りまで、海だったのである。 何故、渡良瀬遊水池にまで海が入り込んだのか? 理由は簡単である。海抜が低いからだ。地形図を見てみよう。 [東京低地地形図 全体図] [渡良瀬遊水池付近] [江戸川区付近] [市川市 貝塚付近] 最も低いのは、我が街、江戸川区、葛飾区。渡良瀬遊水池の辺りも、海抜10数mだ。又、貝塚も、幾分海抜のある台地上に多くプロットされている。 と、いうことは、葛飾の歴史は弥生時代から・・・?!と、決めつけるのは早計だ。縄文海進は、ピークが約6,000年前。縄文時代は約12,000年前〜BC3世紀だから、12,000年前〜6,000年前は、陸地だったのだ。その証拠に、葛飾区と江戸川区には、ちょうど一つずつ、縄文時代の遺跡が登録されている。 ・葛飾区 遺跡番号: 15 遺跡名: 柴又河川敷 所在地: 柴又五・六丁目 遺跡の概要: 低地微高地 包蔵地 [不]溝 土坑 時代: [縄][弥][古][奈][平][中][近] ・江戸川区 遺跡番号: 2 遺跡名: (無し) 所在地: 南小岩五丁目新中川放水路敷 遺跡の概要: 低地 包蔵地 時代: [縄早] それでは早速、自転車で現場視察である・・・ が、保存されている、せめて、何か痕跡が分かるような遺跡は殆ど無いのが現実だ。今回で言えば、[江戸川区 遺跡番号2]は、何も残っていない。 と、いうことで、葛飾区の柴又河川敷遺跡に現場視察である。 [柴又河川敷遺跡] ここも、何も無い…のではないのだ。ここは、縄文時代の痕跡が、今尚、肉眼でハッキリと確認出来る非常に貴重な場所なのだ。 [GoogleMapsによる空撮写真] 大きな地図で見る 写真の川は江戸川だが、透き通って岩盤が見えると思う。何と! これは、縄文海進により削られ残った下総台地の岩盤なのである。 この岩盤は、大潮の干潮と、江戸川水門の開門が重なった時に確認できる。現場視察時は、大潮の干潮だったが、数日続いた大雨の影響で、水量が多く、岩盤の露出は無かった。が、増水により流量と流速が早くなった江戸川の流れは、この岩盤に当たり、ここだけ、流れが逆流し、上流からの流れとぶつかって、渦を巻いていた。 縄文早期、まだ海進する前、約6,000年以上前に、葛飾には、縄文人が住んでいた。その後、縄文海進により、数千年、歴史が途切れる。次、葛飾で人々の営みが再開されるのは弥生時代だ。 次回は、弥生時代。 以上
大雨や台風に伴う水害に備えるうえで、自分の住んでいる地域の標高は重要な参考情報だ。災害への備えの一つとして、自宅の「標高」を確認してみよう。
“国土地理院の地図を見ると、縄文時代の東京湾である「奥東京湾」の姿が分かるな。”